エッフェル塔は解体予定だった?取り壊しを免れた意外な理由
エッフェル塔は、1909年に解体される予定でした。20年たったら塔をパリ市に返す契約だったからです。
それを救ったのは観光客ではなく、気象観測と無線通信という新しい科学でした。しかも動いたのは、設計者のギュスターヴ・エッフェル本人です。
20年後にパリ市へ返す契約だった
エッフェル塔が建てられたのは、フランス革命100周年を記念した1889年のパリ万国博覧会のためです。エッフェルは1887年1月8日に市と契約を結び、建設費の一部を受け取る代わりに、万博の期間とその後20年間の営業収入を得る権利を手にしました。
裏を返せば、20年たてば塔は市のものになります。市が不要と判断すれば、鉄くずとして売られる。その期限が1909年でした。
建つ前から反対されていた
塔は最初から歓迎されていたわけではありません。1887年2月14日、作家のギー・ド・モーパッサンやオペラ座を設計した建築家シャルル・ガルニエら著名な芸術家たちが、建設に反対する抗議文を発表しました。
彼らは塔を「役に立たない怪物」と呼んでいます。エッフェルにとって、20年後の解体は十分ありえる未来でした。
エッフェルは塔を実験室にした
そこでエッフェルが選んだのは、塔を科学の道具にすることでした。一般公開は1889年5月15日。
落成の翌日には早くも、最上部の3階に気圧計や風速計を備えた気象観測所を開いています。1909年8月から1911年12月にかけては、塔のふもとに作った風洞で約5000回の空気力学の実験を行いました。
飛行機の翼やプロペラの性能を測るためです。高さ300メートルという場所は、当時ほかにない実験環境でした。
決め手になったのは無線通信
最大の決め手は無線でした。1898年11月5日、エウジェーヌ・デュクレテが塔と約4キロ先のパンテオンとの間で無線通信に成功します。
1903年には陸軍のギュスターヴ・フェリエ大尉が頂上にアンテナを立て、400キロ離れた要塞との通信を実現しました。設置費用はエッフェルが自分で負担しています。
1909年には軍の無線局が地下に作られ、塔は解体候補から国防に欠かせない設備へと立場を変えました。
70年の延長、そして今
1910年1月1日、パリ市はエッフェルの使用権を70年延長しました。1913年には約6000キロ先のアメリカや船へ電報を送れるようになり、1921年には民間のラジオ放送も始まります。
塔の高さは完成時で300メートル、現在はアンテナを含めて約330メートル。1930年にニューヨークのクライスラービルが完成するまで、41年間も世界一高い建造物でした。
今も約7年ごとに、約60トンの塗料で塗り替えられています。
取り壊されるはずだった鉄の塔は、黙って待っていたから残ったのではありません。気象、空気力学、無線と、新しい科学に場所を貸し続けたから残りました。
次にエッフェル塔の写真を見たら、先端のアンテナを探してみてください。塔が生き延びた理由が、そこに立っています。
参考にした資料