雑学

願いを乗せて空へ?台湾のランタン上げ

2026年7月 · 読了2分
願いを乗せて空へ?台湾のランタン上げ

台湾の夜空を無数の光が昇っていく光景。あれは「平渓天燈節」という行事で、天燈と呼ばれる紙の灯りを空へ放ちます。

ただし台湾のどこでも上げられるわけではなく、屋外で認められているのは新北市の平渓区だけです。浮かぶ理由も、この土地で始まった理由も、はっきりわかっています。

開かれるのは元宵節の夜

旧暦の正月は、一月十五日の元宵節で締めくくられます。平渓天燈節が開かれるのは、この元宵節の当日と、その一週間ほど前の週末です。

会場は三か所に分かれ、菁桐小学校と平渓中学校、そして元宵節当日は十分広場が使われます。新北市の観光情報によれば、この形での開催は1999年に始まり、2024年で26回目を迎えました。

なぜ平渓だけなのか

天燈は火を空に飛ばす行事なので、場所を選びます。平渓区は四方を山に囲まれ、近くに飛行場がなく、一年を通して湿度が高い土地です。

この三つがそろっているため、台湾で唯一、屋外で合法的に天燈を上げられる地区になりました。新北市消防局の規則では、上げてよい範囲は十分の観光案内所から師功橋までの一帯などに限られ、夜十時から翌朝六時までは禁止されています。

浮かぶ仕組みは熱気球と同じ

天燈は、骨組みの竹ひごと本体の宣紙でできています。下に取り付けた金紙を、灯油と落花生油を混ぜた油にひたして火をつけると、袋の内側の空気が温まって軽くなります。

するとまわりの冷たい空気に押し上げられて、天燈は浮かびます。熱気球とまったく同じ原理で、天燈は熱気球の元祖とも呼ばれています。

始まりは無事を知らせる合図

この土地に天燈が根づいた理由は、お祝いとは正反対でした。清の道光年間(1821〜1850年)、平渓に入った開拓者たちは交通の便が悪く、山賊に襲われる危険を抱えていました。

そこで収穫が終わる冬至のころになると、村人は荷物をまとめて山へ避難します。村に残るのは若い男たちだけで、危険が去ったことを山の仲間へ知らせる合図が天燈でした。

無事を伝える灯りが、やがて願いを託す灯りに変わったのです。なお天燈は孔明灯とも呼ばれ、三国時代の諸葛亮が軍の連絡用に考案したという言い伝えもありますが、こちらは史料で裏づけられた話ではありません。

年に30万個、そのあとの話

火が消えた天燈は、山や川へ落ちます。新北市の環境部門の資料によると、平渓で上げられる天燈は年におよそ30万個。

紙のほかに針金やテープが使われているため、竹以外は短い期間で分解されません。そこで市は、拾った天燈の紙を地元の商店で商品と交換できる「天燈小站」という仕組みを設けました。

紙一枚がおよそ1元分にあたります。平日の交換所では、5枚でごみ袋1枚、10枚でトイレットペーパー1パックと引き換えられます。

台湾で天燈を上げるなら、場所も時期も決まっています。旧暦一月十五日前後の平渓へ行くのが唯一の道です。

そして上げた光を見送るだけでなく、落ちた紙を拾って歩く人がいて成り立っている行事でもあります。

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