科学

痛みを我慢するしかなかった手術を変えた、麻酔の一歩

2026年7月 · 読了3分
痛みを我慢するしかなかった手術を変えた、麻酔の一歩

1846年10月16日、アメリカのボストンで、痛みのない手術がはじめて公開されました。歯科医のモートンがエーテルの蒸気を吸わせ、外科医のウォーレンが21歳の患者の首を切開したのです。

患者はあとで、痛みはなく「鈍い道具で皮膚をこすられたような感じ」だったと答えました。この日を境に、手術は耐えるものではなくなっていきます。

麻酔のない時代の手術

麻酔が広まる前の手術は、効き目の乏しい痛み止めしかない状態で行われていました。患者は意識があるまま、切開に耐えるしかありません。

そのため外科医に求められたのは、何よりも手早さでした。人が耐えられる時間には限りがあります。

体の奥までじっくり時間をかける手術は、そもそも選択肢に入らなかったのです。

1846年10月16日に起きたこと

舞台はマサチューセッツ総合病院の、すり鉢状に客席が並んだ手術室。いまはエーテル・ドームと呼ばれています。

歯科医ウィリアム・モートンが急ごしらえのガラス球の吸入器でエーテルを吸わせ、外科医ジョン・コリンズ・ウォーレンが執刀しました。

患者は21歳のエドワード・ギルバート・アボット。首から顎にかけて、血管とリンパ管が異常にからんだ塊がありました。

手術は完全な成功ではありません。血管をしばる場面でアボットは体を動かし、声も上げています。

それでも本人が「痛みはなかった」と証言したことが決め手となり、エーテル麻酔は各国へ急速に広まりました。

なぜ吸うだけで痛みが消えるのか

エーテルは常温でも蒸発しやすい液体です。その蒸気を吸い込むと肺から血液に溶け込み、脳と脊髄に届いて神経のはたらきを抑えます。

意識・記憶・痛みの感覚・体の動きが、まとめて止まった状態になるわけです。ただし、脳のどの回路がどう変わって意識が消えるのかは、180年近くたった今も完全には解明されていません。

毎日どこかの手術室で使われている技術なのに、仕組みの解明はいまだ研究の途中なのです。

世界初は、42年前の日本だった

公開実験としては1846年が最初ですが、全身麻酔そのものの最初ではありません。紀州(いまの和歌山県)の医師・華岡青洲は、1804年に「通仙散」という飲む麻酔薬を使い、60歳の女性の乳がん手術に成功しています。

モートンより42年早い記録です。アメリカでも医師のクロフォード・ロングが、1842年にエーテルを使って腫瘍を切除していました。

ただしロングは結果をすぐ発表せず、青洲の方法も国外にはほとんど伝わりません。「最初にやった人」と「世界を変えた人」が別人になったのは、そのためです。

「麻酔」という言葉が生まれた日

モートンは自分の薬を「レテオン」と名づけて売り出し、1846年11月に特許も取りました。ここに異を唱えたのが、医師で詩人でもあったオリバー・ウェンデル・ホームズです。

同年11月21日、モートンへの手紙で「この状態はアネスシージアと呼ぶべきだ」と提案しました。感覚がない、という意味の言葉です。

特許はのちに実効性を失い、レテオンという商品名も消えました。残ったのはホームズの提案した言葉のほう。

それが今の anesthesia、日本語の「麻酔」です。

「では眠くなりますよ」と声をかけられ、気づいたら終わっている。この当たり前は、200年ほどかけて手に入れたものです。

次に麻酔を受けるときは、痛みを感じずに済むことが決して当然ではなかったと思い出してみてください。

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