失敗作の接着剤が、便利な付箋に生まれ変わった?
付箋のあの粘着剤は、1968年にアメリカの3M社で生まれました。開発者スペンサー・シルバーが目指していたのは、もっと強く貼りつく接着剤です。
できたのは、よくつくのに簡単にはがれる正反対のものでした。ただし彼自身は、これを失敗作とは呼んでいません。
目指していたのは強い接着剤
シルバーが取り組んでいたのは、航空機に使うアクリル系の強い接着剤です。実験で薬品を入れすぎたところ、分子がつながって溶けきらず、目に見えないほど小さな球の集まりができました。
マイクロスフィアと呼ばれるものです。強く貼るという当初の目標から見れば、これは狙いを外した結果でした。
なぜ簡単にはがれるのか
面ではなく点で触れているからです。ふつうの接着剤は紙の面にべったり広がって固まります。
ところがこの粘着剤は小さな球が並んだ状態で紙に触れます。ビー玉の上に紙を置いたようなもので、実際に接している面積がとても小さく、軽い力ではがれます。
球はつぶれずに残るので、はがしたあとも何度でも貼り直せます。触れた瞬間にくっつく力は強いのに、めくる向きの力にはあっさり負ける。この組み合わせが付箋の正体です。
用途が見つかるまで5年
シルバーはこの粘着剤を「問題を探している解決策」と呼び、社内の技術発表会で紹介し続けました。ミネソタ歴史協会の記録では、用途を探した期間はおよそ5年です。
転機を作ったのは同僚のアート・フライでした。教会の聖歌隊で歌うとき、賛美歌集にはさんだしおりが落ちてしまうのが悩みだったのです。
シルバーの粘着剤ならページを傷めずに留められる。そう気づいたところから、しおりの案は「はがせるメモ」へと形を変えていきました。
黄色になったのは偶然
付箋といえば黄色ですが、この色に狙いはありませんでした。試作のとき、研究室の向かいの部屋にカナリアイエローの紙の余りがあり、それを使っただけです。
開発に関わった幹部も、白より目立つから黄色にしようと決めた人はいなかったと語っています。定番の色は、たまたまそこにあった紙で決まりました。
最初の発売は失敗している
1977年、3Mは「プレス・ン・ピール」という名前で4つの都市に試験販売しました。結果は不振です。
買う側に使い道が伝わらず、商品として理解されませんでした。生産中止も検討されるなか、3Mはアイダホ州ボイシで会社や役所に無料サンプルを大量に配りました。
のちに「ボイシ・ブリッツ」と呼ばれる作戦です。説明を読ませるより、一度使わせたほうが早いという判断でした。
実際に使った人の約9割が「買いたい」と答え、評価は一変します。1980年、「ポスト・イット」と名を変えて全米で発売され、定番の文房具になります。
失敗作という言葉は、あとから貼られたものです。狙いを外した結果を捨てずに5年間見せ続けた人と、それを別の用途に読み替えた人がいたから付箋は生まれました。
うまくいかなかった手元の何かを、いま捨てる必要はないのかもしれません。
参考にした資料