サウジアラビアで女性の運転が解禁された日
サウジアラビアで女性の運転が解禁されたのは、2018年6月24日です。それまで同国は、女性の運転を禁じている世界で唯一の国でした。
意外なことに、この禁止を定めた法律は存在しませんでした。それでも28年にわたって、女性はハンドルを握れなかったのです。
解禁は2018年6月24日
サルマン国王が女性の運転を認める勅令に署名したのは2017年9月です。実際に解禁されたのは、その約9か月後の2018年6月24日でした。
空白期間があったのは、免許制度や試験場、交通行政の準備が必要だったためです。解禁前の6月には、すでに女性への運転免許の交付が始まっていました。
法律ではなかった「禁止」
女性の運転を禁じる条文は、サウジアラビアの法律にはありませんでした。実態は行政と宗教の運用によるものです。
1990年、国の宗教指導者の集まりである上級ウラマー評議会が、女性の運転は親族でない男性との接触を招き社会の混乱につながる、という趣旨のファトワ(宗教令)を出しました。内務大臣がこれを受けて布告を出し、政府の方針として固定されます。
そのうえで、女性には運転免許が交付されませんでした。免許がなければ運転は違法になります。
条文ではなく手続きによって、禁止が成立していたわけです。
1990年、47人の車列
最初の公然とした抗議は、1990年11月に起きました。47人の女性が車列を組み、首都リヤドの街を走ったのです。
交通警察は全員を停止させて拘束しました。釈放の条件は、男性の後見人が「二度と運転させない」という誓約書に署名することでした。
参加者の多くはその後、職を失っています。当時のサウジアラビアには男性後見人制度があり、女性は旅行や就労、進学、結婚に男性親族の許可を必要としていました。運転はその制度と地続きの問題でした。
2011年のウーマン・トゥ・ドライブ
2011年、運動は再び動きます。マナル・アッシャリーフさんが自分で運転する様子を撮影し、動画をインターネットに公開しました。
彼女は9日間拘束され、この運動の象徴的な存在になります。同年6月17日には多数の女性が抗議として車を運転しました。
警察に止められた人、誓約書に署名させられた人、裁判にかけられた人がいます。一人はむち打ち10回の判決を受けましたが、この判決は2011年のうちに国王によって取り消されました。
解禁の直前に起きたこと
この解禁には、明るいだけではない側面があります。解禁のおよそ1か月前にあたる2018年5月、運転の権利を訴えてきた女性の権利活動家8人が拘束されました。
ルジャイン・アルハズルールさん、イマン・アルナフジャンさん、アジザ・アルユセフさんらです。国際人権団体アムネスティ・インターナショナルによれば、一部は起訴されないまま1か月以上拘束されました。
権利を勝ち取るために声を上げた人たちが、その権利が認められる場に立ち会えなかったことになります。
制度は変わっても、変えようとした人の扱いまで同時に変わるとはかぎりません。ニュースで「解禁」の一語を見たときは、そこに至るまでの28年と、その日に自由でなかった人がいたことまで合わせて覚えておく価値があります。
参考にした資料