きらびやかな仮面が身分を消す、ベネチアの祭り
ベネチアの仮面カーニバルは、断食の季節が始まる前に街をあげて楽しむ祭りです。顔を隠してしまえば、相手が貴族か庶民かは分かりません。
ただし「誰もが完全に対等になった」わけではありません。仮面には形ごとの決まりがあり、法律で何度も規制されてきました。
祭りが終わる日は決まっている
カーニバルは冬の終わりに開かれ、灰の水曜日の前日にあたる告解火曜日で幕を閉じます。翌日から、復活祭に向けた約40日の節制期間である四旬節が始まるためです。
カーニバルという言葉自体、ラテン語で肉を断つことを指す語に由来すると説明されます。復活祭の日付が年ごとに動くので、祭りの日程も動きます。
2027年の公式日程は1月23日から2月9日まで。18世紀には、12月26日から告解火曜日まで2か月あまりも仮面をつけてよい時期がありました。
始まりは伝説、記録は1296年
起源としてよく語られるのは、1162年の戦勝を祝って人々がサンマルコ広場で踊った、という話です。これは伝説で、確かな記録ではありません。
公式の祭りとしてさかのぼれるのは1296年。この年、共和国の元老院が四旬節の前日を祝日と定めました。
仮面についての記述は13世紀の法令にも現れます。1436年4月10日には仮面職人の同業組合が独自の規約を持ち、仮面づくりは街の産業になっていきました。
バウタとモレッタ
代表的な仮面は二つあります。白いバウタは顎が前に張り出した形で、外さずに食べたり飲んだり話したりできました。
黒いビロードのモレッタは女性用で、裏側のボタンを歯でくわえて固定します。つけているあいだ、声を出すことはできません。
仮面が消したもの、消さなかったもの
仮面は、身分の差を見えにくくしました。バウタは黒いマントと三角帽子と組み合わせて身につけます。
顔だけでなく、髪型も服装も体つきも隠れる装いです。相手の素性が分からないまま話せるので、ふだんは交わらない人どうしが同じ場に立てます。
女性が付き添いなしで外出でき、物乞いが素性を隠せた、という指摘もあります。いっぽうでバウタは、貴族や上層の市民が使う仮面とされ、公式の場では着用が求められました。
仮面は身分をぼかす道具であり、同時に身分ごとの決まりに縛られてもいたのです。
規制と、200年近い空白
匿名は自由を生みますが、悪さも隠します。ベネチアは早くから手を打ちました。
1268年には、仮面をつけて香水入りの卵を投げる行為が禁じられます。1339年の法は、下品な仮装や、仮面のまま修道院を訪ねることを禁じました。
祭りそのものが消えたのは1797年です。共和国が倒れ、オーストリア皇帝フランツ2世の統治下で仮面の使用も厳しく禁じられました。
復活したのは1979年。街の文化と経済を立て直す動きの中で、再び仮面が街に戻ります。
一枚の仮面は、身分の壁を壊しはしませんでした。それでも、しばらくのあいだ見えなくすることはできたのです。
ベネチアを訪ねる機会があれば、仮面の形に目を向けてみてください。顎の張り出しやボタンの位置に、当時の決まりごとがそのまま残っています。
参考にした資料