捨てた失敗作の中に、さびない鉄が残っていた?
捨てた失敗作の山に、さびない鉄が残っていた。ステンレスの誕生には、そんな逸話がついて回ります。
ただし発明者本人の記録をたどると、話はもう少し地味です。1913年、イギリスのシェフィールドで、ハリー・ブレアリーが調べていたのは銃身でした。
始まりは銃身の摩耗
ブレアリーの目的は、台所用品ではありませんでした。当時の銃は、発射のたびに銃身の内側が高温にさらされ、少しずつ削れていきます。
この摩耗に強い金属を探すため、彼は炭素を約0.2パーセント、クロムを6から15パーセント含む鋼をいくつも試しました。そして1913年8月、クロム12.8パーセント、炭素0.24パーセントの鋼を作ります。これが、のちにステンレスと呼ばれる金属です。
「ごみの山」の話は俗説
きっかけは、捨てた鉄ではありません。金属の内部組織を顕微鏡で見るには、表面を硝酸などで溶かして模様を浮き上がらせる、エッチングという下準備が要ります。
ところがこのクロム鋼は、硝酸をかけても模様が出ませんでした。水に一晩つけても曇らず、みがいた面は12日たっても光ったまま。
ごみ捨て場で偶然見つけたという話は広く語られていますが、本人の記録に裏づけはなく、俗説とみられます。
さびない正体はクロムの膜
さびにくさの正体は、鉄そのものではなくクロムです。クロムを10.5パーセント以上加えると、表面のクロムが空気中の酸素と結びつき、ごく薄い酸化物の膜ができます。この膜が、酸素や水を内部の鉄まで届かせません。
膜の厚さは原子数個ぶんしかなく、目には見えません。本当の強みは、削れてもすぐ作り直される点にあります。
傷がついて中の金属がむき出しになっても、内部のクロムが空気や水の中の酸素と結びつき、その場で膜が張り直されます。塗装やめっきのように塗り直さなくてよいのは、このためです。
それでもさびることがある
ステンレスは「さびない鉄」ではなく「さびにくい鉄」です。海水や汗にふくまれる塩化物イオンは、この膜を点で破ります。
すると小さな穴が深く進む、孔食という腐食が起こります。塩酸のような薬品も苦手です。
流し台に濡れた空き缶やヘアピンを置きっぱなしにすると茶色い跡が残りますが、こちらは相手の鉄のさびが移った「もらいさび」であることがほとんどです。
名前をつけたのは刃物の街
ブレアリー自身は、この鋼を「さびない鋼(rustless steel)」と呼んでいました。ステンレスという呼び名は、シェフィールドの刃物メーカーの支配人アーネスト・スチュアートが提案したものです。
当時の食卓ナイフは、鉄なら酸っぱい料理で黒ずみ、銀なら値が張りました。刃物の街だったからこそ、新しい鋼の使い道がすぐ見つかったのです。
クロムを混ぜた鉄がさびにくいことに気づいた人は、ブレアリーが最初ではありません。同じころ、フランスやドイツ、アメリカでも似た合金が作られていました。
それでも彼の名が残ったのは、この金属を刃物という日用品に結びつけ、売り込みを最後まで手放さなかったからです。台所でスプーンを握るたび、その執念の産物に触れていることになります。
参考にした資料