七面鳥で実りに感謝するアメリカの行事とは
11月の第四木曜日、アメリカの食卓に大きな七面鳥が並びます。ところが、始まりとされる1621年の宴で七面鳥が主役だった、という記録はありません。
当時の手紙に残っているのは、鹿肉と野鳥です。今の形になるまでには、二百年以上かかっています。
記録に残る1621年の三日間
プリマス(現在のマサチューセッツ州)に渡ったイギリス人入植者は、最初の冬に多くの仲間を失いました。翌1621年の秋、収穫を祝う場に、先住民ワンパノアグの指導者マサソイトと約90人が加わります。
宴は三日間続きました。ただし、この出来事を書き残したのは参加者エドワード・ウィンズローの手紙ただ一通で、それ以外の目撃記録は見つかっていません。
食卓に並んだもの
ウィンズローによれば、入植者4人が一日で仕留めた鳥は、一週間近くの食事をまかなうほどでした。ワンパノアグ側は鹿を5頭持ち込んでいます。
ほかに、とうもろこしやうなぎ、貝類が食べられたと考えられています。一方でパイもマッシュポテトもありません。
生地に使う小麦粉とバターがなく、じゃがいももまだ持ち込まれていなかったからです。定番のクランベリーソースも登場しません。
クランベリーを砂糖で煮て肉に添える食べ方がイギリスで書き残されるのは、この宴の約50年後です。
七面鳥が主役になったのは19世紀
七面鳥を食卓の中心に据えたのは、1621年の宴ではありません。作家で雑誌編集者のサラ・ジョセファ・ヘイルが、1827年の小説『ノースウッド』でテーブルの上座に置かれたローストターキーを描き、誌面で料理法を広めたことが大きく効きました。
この一章が全国の献立の手本になり、七面鳥は感謝祭の記号になります。定着ぶりは数字にも表れていて、2019年の感謝祭当日だけで約4000万羽が食べられたと推計されています。
「最初の感謝祭」と呼ばれた日
1621年の集まりは、当時「感謝祭」とは呼ばれていませんでした。この日を最初の感謝祭と位置づけたのは、1841年にウィンズローの記録を紹介したある牧師です。
全国の祝日になるのはさらに後で、南北戦争のさなかの1863年10月3日、リンカーン大統領が11月の最終木曜日を感謝の日とする布告を出しました。ヘイルが歴代の大統領に働きかけ続けた末の実現です。
日付が二つに割れた年
第四木曜日という今の日付は、意外に新しい決まりです。1939年、ルーズベルト大統領は不況下の買い物期間を延ばそうと、感謝祭を一週間早めました。
しかし16の州が従わず、国内で日付が二つに割れます。住む州によって感謝祭の日が違う状態は、1941年まで三年続きました。
混乱を収めるため、議会は1941年12月26日に共同決議を成立させ、11月の第四木曜日を法律で固定しました。
七面鳥も第四木曜日も、あとから加わった約束事です。四百年前から変わらないのは、収穫のあとに人を招き、同じ食卓を囲むという形だけ。今年の11月、その形がまた繰り返されます。
参考にした資料