モアイ像には埋まった体がある?頭だけじゃなかった
イースター島のモアイには、頭の下に肩と胴体があります。写真でよく見る「頭だけのモアイ」は、胴体が土に埋もれて頭だけが地上に出ている像です。
ただし埋まっているのは、島じゅうのモアイではありません。ラノ・ララクという採石場の斜面に立つ像に限られます。この記事では、像が埋まった理由と体に彫られていた模様、そしてモアイの大きさ・運び方・作られた目的までを発掘の結果をもとに説明します。
頭だけに見えるのは採石場の像
モアイは島の各地にありますが、「頭だけ」の姿はラノ・ララクという火山の斜面に集中しています。ここはモアイの材料になった凝灰岩(火山灰が固まった岩)の採石場です。
イースター島像プロジェクト(EISP)はこれまでに1,000体を超えるモアイを記録しています。Wikipediaによれば、900体あまりのうち53体を除くすべてがラノ・ララクの凝灰岩で彫られていて、今もこの採石場には394体が残っています。
写真に多く使われるのがこの斜面の像で、その多くが肩まで埋まっています。「モアイには体がない」という誤解は、ここから広まりました。採石場に残る394体は完成の度合いもさまざまで、岩から切り離す前の彫りかけの像も含まれています。
一方、海沿いのアフと呼ばれる石の基壇に立つモアイは、胴体まで地上に出ています。埋まっているかどうかは、像の置かれた場所で決まります。
数百年かけて土に埋もれた
誰かが像を埋めたわけではありません。斜面の土や石が長い年月をかけて足元にたまり、下から順に像を覆っていきました。採石で削られた岩くずも、その土の一部になっています。
1914年から翌年にかけて島を調査したキャサリン・ラウトレッジ隊の記録では、ある像は耳たぶとあごの中間の高さまで埋まっていたといいます。頭が高い位置にあるため、地表に残ったのは頭部だけでした。
土に覆われた胴体は風雨から守られ、彫られた当時の面がよく残っています。後で紹介する背中の線刻が見つかったのも、この埋もれていた部分です。
背中に彫られていた線刻
EISPは2010年から、ラノ・ララクの内部で初めての科学的な発掘を行いました。土を取り除くと、モアイの背中や腕に細かな線刻が現れます。
代表がRR-001-156と呼ばれる像で、2012年までに全身が掘り出されました。ただし、これほど密な模様を持つ像は1,000体以上のうち数体しか確認されていません。
模様の多くは三日月形です。カヌー(ヴァカ)を表すという見方と、レイミロという胸飾りだとする見方があり、決着はついていません。像の下に敷かれた石にも同じ三日月が刻まれており、像を所有した集団の印だった可能性が指摘されています。
運搬待ちで放置されたのではない
採石場の像は、運び出す途中で捨てられたと長く考えられてきました。ジョー・アン・ヴァン・ティルバーグらが2019年12月に学術誌「Journal of Archaeological Science」へ発表した発掘結果は、この見方を大きく変えました。
掘り出した2体は、一方が台座の上に、もう一方が深い穴の中に据えられていたのです。仮置きではなく、最初からそこに立てるつもりだったことになります。
周囲の土からはバナナ、タロイモ、サツマイモの痕跡が見つかりました。土にはカルシウムとリンが多く含まれていて、石を削るほど岩くずが肥料になり、水も得られる環境でした。採石場は作業場であると同時に畑でもあり、像はその実りを支える存在だったと考えられています。
モアイの大きさと重さ
モアイの平均的な大きさは高さ約4メートル、台座の幅約1.6メートル、重さ約12.5トンです。ただし大きさには幅があり、最大のものは平均の何倍にもなります。
| 像 | 高さ | 重さ | 状態 |
|---|---|---|---|
| 平均的なモアイ | 約4 m | 約12.5トン | — |
| パロ | 約10 m | 82トン | 立てられた中で最も高い |
| アフ・トンガリキの最大の像 | 約9 m | 86トン | 立てられた中で最も重い |
| エル・ヒガンテ | 約21 m | 約145〜165トン | 採石場で彫りかけのまま |
エル・ヒガンテは、完成すれば立てられたどのモアイよりも2倍以上高い像でしたが、採石場で彫りかけのまま残っています。頭にのせる赤い帽子のような石「プカオ」は、ラノ・ララクではなくプナ・パウという別の採石場の赤いスコリア(軽石に似た火山岩)で作られています。
どうやって運んだのか
数十トンの像を、どうやって海岸の基壇まで運んだのか。有力なのが「歩かせた」という説です。像の両側に縄をかけ、左右に揺らしながら少しずつ前へ進めます。
ビンガムトン大学のカール・リポとアリゾナ大学のテリー・フントは、2025年に学術誌「Journal of Archaeological Science」でこの説を検証した論文を発表しました。重さ4.35トンの複製を作り、18人で100メートルを40分で動かしています。いったん揺れ始めると、引き手は片腕で引くだけで像が進んだといいます。
運ばれる途中のモアイは、底がD字形に広く、前に5〜15度傾いています。この形が揺らして進めるのに向いていました。島に残る道は幅約4.5メートルで、断面が浅くくぼんでいて、像を安定させる役目を果たしたと考えられています。同じ区間に何本も並行する道の跡があり、像を進めながら道を少しずつ作り足していったと見られています。
いつ、誰が、何のために作ったのか
作ったのは、島に暮らしたラパ・ヌイの人々です。モアイという言葉は、ラパ・ヌイ語で「像」を意味します。像は神格化された祖先の「生きた顔」を表すとされ、宗教と政治の両方の権威の象徴でもありました。
基壇に立てられたモアイには、目もはめ込まれていました。1979年に考古学者セルジオ・ラプが見つけたもので、白いサンゴの目に、黒曜石か赤いスコリアの瞳を入れる作りです。目の入ったモアイは、採石場の目のない像とはまったく違う表情をしていたことになります。
海沿いの基壇に立つモアイの多くは、海ではなく内陸の集落のほうを向いています。
EISPの発掘からは、採石場の内側での活動が西暦1455年ごろに始まり、多くの像が1510年から1645年のあいだに立てられたと推定されました。制作は1700年代初めにはほぼ終わっています。基壇の上のモアイは18世紀後半から倒されはじめ、19世紀後半にはすべて倒れていました。
今、立っている基壇のモアイは、20世紀以降に立て直されたものです。15体が並ぶアフ・トンガリキは1992年から1996年にかけて修復され、日本のクレーン会社タダノが機材と技術を提供しました。モアイが立つ一帯は、1995年にラパ・ヌイ国立公園として世界遺産に登録されています。
よくある疑問
- モアイは全部、体が埋まっているのですか?
- いいえ。体が埋まっているのは、採石場ラノ・ララクの斜面に立つ像です。海沿いの基壇に立つモアイは、胴体まで地上に出ています。
- モアイはどちらを向いていますか?
- 基壇のモアイの多くは、海ではなく内陸の集落のほうを向いています。内陸にあるアフ・アキビの7体は、集落を向きながら海の方角も向いている例外として知られています。
- モアイは全部で何体ありますか?
- 数え方によって違い、Wikipediaでは900体あまり、イースター島像プロジェクトは1,000体を超えるモアイを記録しています。そのうち394体が、今も採石場ラノ・ララクに残っています。
まとめ
モアイは「謎の頭部」ではなく、全身像の見えている上半分です。頭だけに見えるのは採石場ラノ・ララクの像で、長い年月のあいだに斜面の土が胴体を覆いました。掘り出された体には線刻が残り、像が最初からその場所に立てられていたことも分かっています。次にイースター島の写真を見るときは、像が採石場の斜面にあるのか、海沿いの基壇にあるのかを確かめてみてください。
参考にした資料