日本一高い富士山はなぜ人々に愛されてきたのか
富士山の標高は3776メートル、日本で一番高い山です。ただ、この山が特別に思われてきた理由は高さだけではありません。
富士山はくり返し噴火し、そのたびに恐れられ、鎮めるために祀られてきました。畏れから始まった祈りが、やがて登る山への信仰に変わっていきます。
日本一の標高
日本で最も高い山、富士山の標高は3776メートルです。国内のどの山よりも高くそびえ、その頂が日本の一番高い場所となっています。
山頂の最高地点は剣ヶ峰と呼ばれ、火口を取り囲む峰のひとつです。
円すい形は積み上げられた形
富士山は一度の噴火でできた山ではありません。はじめに小御岳火山があり、その中腹で約10万年前に古富士火山が活動を始めました。
古富士火山は数百回の噴火と何度かの山体崩壊をへて、およそ1万年前から今の新富士火山が成長を始めます。溶岩と火山灰が同じ場所に積み重なり、崩れた傷あともあとの噴火が覆いなおしました。
あの整った円すい形は、数万年かけて積み上げられた結果なのです。
最初にあったのは恐れ
富士山が最初に集めたのは、あこがれではなく恐れでした。記録に残る大きな噴火だけでも、800年(延暦19年)の延暦噴火、864年(貞観6年)の貞観噴火があります。
火を噴く山を前にした人々は、噴火を神のふるまいと受けとめました。8世紀後半には富士山を浅間大神として祀るようになり、各地に浅間神社が建てられます。
この時代の信仰は、山に登らず遠くから拝む遥拝でした。
登る山に変わるまで
噴火が静まると、富士山は登る山へと変わります。平安時代の後期からは、山岳信仰と仏教が結びついた修験道の道場になりました。
末代上人は数百回も登り、山頂に寺を構えたと伝えられます。15世紀から16世紀には、修験者に導かれた一般の人々の信仰登山、いわゆる登拝が広まりました。
江戸時代には長谷川角行が富士信仰の基礎をつくり、食行身禄らによって富士講と呼ばれる集まりが各地に生まれます。18世紀の終わりごろには禁止令が出されるほど、その広がりは大きなものでした。
明治になると廃仏毀釈で山中の仏教施設は姿を消します。かわりに鉄道や自動車道が通り、登山者は大きく増えました。
祈るために登る山から、眺めて楽しむ山へ。富士山の登り方は、この百数十年で大きく変わったのです。
文化遺産として登録された理由
2013年6月、富士山は世界文化遺産に登録されました。登録名は「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」です。
自然遺産ではなく文化遺産であるところに、この山の評価がよく表れています。認められたのは、富士山信仰という山岳への独自の文化的伝統と、その姿が生んだ芸術作品とのつながりでした。
構成資産は25あり、山頂部だけでなく浅間神社や登山道もふくまれます。
最後の噴火は1707年(宝永4年)の宝永大噴火で、それから300年以上、富士山は静かなままです。ただし活動を終えた山ではありません。
次に富士山を見るときは、あの輪郭が噴火のくり返しでできたものだと思い出してみてください。同じ形が、少し違って見えるはずです。
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