8000体の兵馬俑は井戸掘りで偶然見つかった?
1974年3月29日、中国・陝西省の農民たちが井戸を掘っていて、等身大の陶器の頭を掘り当てました。約8000体の兵馬俑が世に出た瞬間です。
学者の発掘調査ではなく、水を探す作業でした。ただし「同じ顔が一つもない」という有名な話には、少し補足が要ります。
干ばつの年の井戸掘り
現場は西安市臨潼区、始皇帝陵の東およそ1.5キロの荒れ地です。干ばつで水を求めた楊志発さんら数人の農民が、深さ3メートルほどまで掘ったところで陶器の破片に当たりました。
出てきたのは頭や腕、脚の破片、そして青銅の矢じりでした。
村人は当初、焼き物の神様だと思ったと伝えられます。同じ年の7月、考古学者のチームが本格的な発掘に入り、そこが後に1号坑と呼ばれる場所になりました。
2号坑、3号坑が見つかったのはその後です。偶然の一撃を大発見に変えたのは、あとから動いた専門家と予算でした。
8000体は掘り出した数ではない
よく言われる約8000体は、2007年時点の推定値です。三つの坑を合わせて兵士8000体以上、戦車130台とそれを引く馬520頭、騎兵の馬150頭があると見積もられています。
ただし大半は今も地中に埋まったままで、並べて数えた結果ではありません。兵士の背丈は1.75〜2メートルほど。実際の人間より少し大きめに作られています。
並んでいるのは像だけではありません。青銅の矛や剣、弩の部品といった武器も一緒に出土しています。
鋳造して形を作り、はんだ付けし、打ち出して整え、穴をあける。武器づくりの工程まで確認できるため、兵馬俑は美術品であると同時に、秦の軍隊の装備目録にもなっています。
同じ顔がない本当の理由
彫刻家が一体ずつ顔を彫った、という話ではありません。頭・腕・脚・胴を別々に型で作り、あとから組み立てる分業方式でした。
顔についても、研究者は基本となる10種類ほどの形を見分けています。ではなぜ同じ顔が見つからないのか。
組み立てたあとに粘土を盛り足し、目や眉、口やひげを一体ずつ手で仕上げたからです。少ない型と手作業の組み合わせで、大量生産と個性を両立させていました。
4分で消える色
掘り出した直後の兵馬俑には、色が残っています。藍銅鉱の青、孔雀石の緑、辰砂の赤。
ところが西安の乾いた空気に触れると、顔料を支えている漆の層が15秒ほどでめくれ上がり、4分ほどで剥がれ落ちてしまいます。私たちが見慣れた灰色は、本来の姿ではありません。
掘る技術と守る技術は別物だという現実が、ここに表れています。
まだ開けられていない墓
陵墓の造営が始まったのは紀元前246年、13歳の秦王が即位した直後でした。関連する遺構は約56平方キロに広がり、周辺だけで約600の陪葬墓や坑が確認されています。
1987年に世界遺産へ登録されましたが、始皇帝本人が眠る墳丘の中心部は、今も発掘されていません。
兵馬俑は完成した展示物ではなく、途中経過です。次に写真を見るときは、灰色の兵士の向こう側で、まだ土をかぶったまま順番を待っている大多数を思い浮かべてみてください。
参考にした資料