姫路城が白鷺城と呼ばれる理由を知っていますか
姫路城が白鷺城と呼ばれるのは、白漆喰で塗り固めた真っ白な姿を、翼を広げたシラサギに見立てたからです。読み方は「しらさぎじょう」とも「はくろじょう」とも言われます。
ただしこの白さは、見た目のために選ばれた色ではありません。城を火から守るための、きわめて実用的な工夫でした。
シラサギに見立てられた城
兵庫県姫路市に建つ姫路城は、天守も櫓も塀も白一色です。青空を背にしたその姿が翼を広げたシラサギに重なることから、白鷺城という別名で呼ばれてきました。
今の大天守が完成したのは1609年、江戸時代が始まって間もない時期です。城主の池田輝政が大規模な改修を行い、五重六階地下一階の大天守を中心とした現在の姿を整えました。
それから400年以上、白い天守は同じ場所に立ち続けています。
白さの正体は漆喰の防火性
白く見えるのは、表面を覆う漆喰です。姫路城は外壁だけでなく、屋根瓦の継ぎ目にまで漆喰を塗り込めた「白漆喰総塗籠造」で造られています。
漆喰は石灰を主な原料とする、火に強い材料です。木造の城にとって最大の敵は、火矢や失火による炎でした。
城全体を燃えにくい膜で包むこの工法は、美しさと防火を一度に果たす答えだったのです。
天守は一度すべて解体されている
「創建当時のまま残っている」と言われることがありますが、正確ではありません。1956年から約8年をかけた「昭和の大修理」で、大天守は巨大な素屋根に覆われ、いったん全部品にまで解体されました。
傷んだ柱や梁は新しい材に取り替え、まだ使える部材は修理して、もう一度組み直しています。国土交通省の解説によれば、この工事に費やされた作業量は延べ25万日分を超えました。
木造建築が長持ちするのは、手を触れずに放っておいたからではありません。数十年ごとに解体と修理を重ねてきたからです。
この工事では、解体して初めて分かった建築上の発見も数多く記録されました。ばらしてみないと見えないものがあるのです。
空襲を越えて残った82棟
第二次世界大戦の空襲で、姫路の中心部は焼け野原になりました。その中で姫路城は焼けずに残ります。
現在、大小4つの天守とそれをつなぐ4つの渡櫓の計8棟が国宝に、さらに74棟が重要文化財に指定されています。合わせて82棟。
天守だけがぽつんと残ったのではなく、門も塀も櫓もそろって残っている点が、姫路城の値打ちです。江戸時代までに建てられた天守が今も残る城は全国でもわずかしかなく、姫路城の大天守はその中で最大の規模を誇ります。
日本で最初の世界文化遺産
1993年12月、姫路城は奈良の法隆寺とともに、日本で初めての世界文化遺産に登録されました。日本の世界遺産の第一号が、寺と城だったわけです。
石垣と堀で敵を足止めし、坂と門を折り重ねて天守へ近づけない縄張り。それを木と漆喰だけで実現した技術が、まとまった形で残っています。
姫路城を訪ねたら、天守を見上げたあとで屋根瓦の継ぎ目に目を向けてみてください。白い線が一本ずつ丁寧に引かれています。
あの漆喰こそ、400年分の火と時間から城を守ってきた仕掛けです。
参考にした資料