設計した建築家が完成を見られなかった名建築とは
シドニー・オペラハウスを設計したヨーン・ウツソンは、完成した建物を実際に見ていません。工事の途中で辞任し、1966年4月にオーストラリアを離れたきり、生涯戻らなかったからです。
開場はその7年後、1973年10月20日でした。世界で最も有名な建物のひとつは、設計者が不在のまま完成したのです。
無名の建築家が選ばれた日
始まりは国際設計競技でした。集まった案は233点。
1957年1月29日に選ばれたのは、当時38歳、ほとんど無名だったデンマークの建築家ヨーン・ウツソンの案でした。帆にも貝殻にも見える白い曲面が、のちにオペラハウスの代名詞になります。
ただし審査を通った時点では、その屋根をどう建てるかは誰にも分かっていませんでした。
形は決まっても作り方がない
最大の難題は屋根でした。応募案の曲面は一枚ごとに形が違い、そのまま作れば型枠を全部そろえる必要があります。
費用が跳ね上がり、実現は絶望的でした。答えが出たのは1961年半ば。
すべての殻を、半径75.2メートルの同じ球面から切り出すという発想です。曲がり具合がそろえば、同じ型で部材を量産できます。
着工は1959年ですから、屋根の作り方が決まらないまま2年ほど工事が進んでいた計算になります。
予算14倍、そして辞任
当初の見積もりは700万豪ドル、完成予定は1963年でした。実際にかかったのは1億200万豪ドルで、完成は10年遅れます。
工期も4年の予定が14年に伸びました。費用の多くは州営宝くじでまかなわれています。
州政府が交代すると、公共事業大臣デイヴィス・ヒューズが報酬の支払いと設計の主導権を握りました。1966年2月28日、ウツソンは大臣との会談を15分で切り上げ、その日のうちに辞任を伝えます。
4月28日、家族とともにオーストラリアを発ち、二度と戻ることはありませんでした。
開場式にいなかった設計者
1973年10月20日、エリザベス2世が開場を宣言しました。女王の演説にウツソンの名前は出てきません。
「彼は式に招かれなかった」という話は広く語られていますが、招待を受けたうえで辞退したとする記録もあり、どちらが事実かは断定できません。俗説として扱うのが正確です。
確かなのは、設計者が完成の場にいなかったことだけです。
33年後の和解
物語には続きがあります。1999年、オペラハウス側はウツソンを設計顧問に迎えました。
彼は将来の改修を導く「設計原則」をまとめ、2004年には内部の一室が彼の設計で改装され、ウツソン・ルームと名づけられます。2003年には建築界で最高の栄誉とされるプリツカー賞を受賞。
2007年、建物は世界遺産に登録されました。ウツソンが亡くなったのは2008年11月29日です。
この和解の仕事も、すべてデンマークから遠隔で行われました。
海辺の白い帆は、設計者自身が写真と模型でしか知らなかった建物です。訪れる機会があれば、屋根の曲面を見比べてみてください。
形の違う殻に見えて、すべて同じ球から切り出された兄弟だと分かります。
参考にした資料