お金が生まれる前はどうしていた?物々交換説と貸し借りの記録
「お金がなかった時代は物々交換をしていた」と習った人は多いはずです。ところが人類学の調査では、物々交換だけで回っていた社会は一つも報告されていません。
粘土板に残っていたのは、交換の場面ではなく貸し借りの記録でした。お金がどう生まれたのかを、順番に見ていきます。
物々交換の弱点
物々交換は、欲しいものが互いに一致しないと成立しません。魚を持つ人が斧をほしがっても、斧を持つ人が魚をいらなければ交換は終わりです。
経済学ではこれを「欲望の二重の一致」と呼びます。魚は数日で傷むので、条件の合う相手を待つ余裕もありません。
魚何匹で斧一本かという共通のものさしもなく、割合は毎回決め直しでした。
実際に残っていたのは貸し借りの記録
では昔の人は何をしていたのでしょうか。古代メソポタミアの粘土板に多く残っていたのは、交換の場面ではなく貸し借りの帳簿です。
紀元前2150年ごろには「シェケル」という重さの単位が使われ、大麦の一定量と結び付けられていました。人類学者のキャロライン・ハンフリーは、純粋な物々交換の経済は一例も記述されていない、と指摘しています。
デヴィッド・グレーバーも、お金はまず信用として現れ、交換の道具になったのはその後だと論じました。
みんなが認める品物がお金になる
直接の交換に代えて、誰もが値打ちを認める品物を間にはさむ方法も広がりました。みんなが価値を認める貝殻や穀物が、交換の仲立ちとして使われるようになったのです。
中国では三千年以上前からタカラガイの貝殻が使われ、殷や周の時代には青銅で貝の形をまねた品も作られました。貝殻には、割れにくく大きさがそろうという利点があります。
アフリカやインドでも長く使われ、インドでは1830年ごろまで残りました。主な産地はモルディブ諸島でした。
日本で使われたのは米と布
貝のお金は世界共通ではありません。日本銀行金融研究所の貨幣博物館によると、朝廷が発行した銭貨は958年の乾元大宝を最後に途絶えました。
品質が落ちて信用を失ったためです。その後の11世紀から12世紀半ばには、米や絹・布が銭貨の代わりに使われました。
手形のような書類も現れ、信用取引が育っていきます。
硬貨が生まれるまで
金属を決まった重さにそろえ、発行者が刻印を押したものが硬貨です。刻印は、毎回はかり直す手間を省くための保証でした。
最初の硬貨は紀元前7世紀ごろ、今のトルコにあったリディア王国で作られています。素材は金と銀の自然な合金エレクトロンです。
日本で古いのは7世紀後半の富本銭で、1998年の発掘調査で製造が確かめられました。708年には唐の開元通宝をまねた和同開珎が発行されています。
お金の始まりは、便利な品物が一つ選ばれた瞬間ではありません。貸し借りを記録し、価値のものさしをそろえていく長い工夫の積み重ねです。
手のひらの硬貨の裏に数千年分の帳簿があると思うと、見え方が少し変わります。
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