雑学

本物のオレンジを投げ合う、イタリアの激しい祭り

2026年7月 · 読了3分
本物のオレンジを投げ合う、イタリアの激しい祭り

イタリア北部の町イブレアでは、毎年2月ごろ、人々が本物のオレンジを投げ合います。徒歩の民衆チームと、馬車に乗った兵士チームに分かれての3日間の合戦です。

運び込まれるオレンジは、近年では毎年700トンを超えます。圧政への抵抗を再現した行事ですが、その物語のどこまでが史実なのかは、はっきり分かれています。

冬の終わりの3日間

オレンジ合戦の舞台は、ピエモンテ州の町イブレアです。行われるのはカーニバル(謝肉祭)の日曜・月曜・火曜の午後で、たいていは2月、年によっては3月に入ります。

3日続けて町の広場が戦場になり、最後の火曜の夜、しめやかな葬送の儀式で祭りは幕を閉じます。

民衆と兵士に分かれて

戦う人はアランチェーリ(オレンジ投げ手)と呼ばれます。徒歩のチームは9つあり、蜂起した民衆を表します。

防具はつけず、身のこなしだけで馬車に立ち向かいます。相手は馬車に乗ったチームで、こちらは領主の兵士役です。

馬車1台に10人から12人が乗り、詰め物の入った衣装と、鉄格子で顔を覆う革のマスクで身を守ります。

粉屋の娘ヴィオレッタの伝説

祭りの由来として語られるのは、粉屋の娘ヴィオレッタの物語です。町を支配していた領主が、結婚を控えた花嫁に初夜の権利を主張した。

呼び出されたヴィオレッタは、逆に領主の首をはねた。それを合図に民衆が城へ押し寄せ、焼き払った。

こういう筋書きです。彼女は今もムニャイア(粉屋の娘)と呼ばれ、毎年ひとりの女性がその役を務めます。

どこまでが史実か

この物語は、そのままの形では記録に残っていません。確かめられているのは、1194年に住民がビアンドラーテ家の領主に対して蜂起し、その城を壊したという事実です。

物語に出てくる領主が誰なのかもはっきりせず、12世紀のラニエーリ・ディ・ビアンドラーテと13世紀のモンフェッラート侯グリエルモ7世が混ざったものと見られています。ヴィオレッタの逸話は、後世にふくらんだ伝説として受け止めるのが正確です

町の祭りが今の形にまとまったのは1808年、ムニャイアが登場したのは1858年でした。

なぜオレンジを投げるのか

じつはオレンジは、この祭りの新参者です。もともと投げられていたのは豆で、次にリンゴになり、オレンジが使われるようになったのは近代に入ってからでした。

オレンジは、城に投げつけた石に見立てられています。ただしイブレアのあるアルプスのふもとで、オレンジは採れません。

そこでシチリアなど南イタリアから、冬に余った実を運びます。使うのは食用に向かないものです。

1994年には推定265トンが町に運び込まれました。祭りのあとも無駄にはしません。

2026年の大会では、およそ725トンが回収され、堆肥にまわされています。

見物人にも身を守る方法があります。赤いフリジア帽をかぶることです。

とんがった赤い帽子は「自分は蜂起する民衆の側で、戦いには加わらない」という中立の印で、かぶっている人は狙われません。古代ローマで解放された奴隷が身につけた自由の象徴が、そのまま生きているのです。

逆にかぶらずに広場へ入れば、オレンジが飛んでくることは覚悟しなければなりません。

イブレアのオレンジ合戦は、確かな史実と後世の伝説が重なってできた行事です。見に行くつもりなら、まず赤いフリジア帽を用意することから始めてください。

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